年明けてから


ずいぶん精神的に削られてきた.こんなの人生初だよ.
なんてことしてくれるんだ,この国は.


半分は恨み事かもしれないが
たぶん大学をあげて酷使対策すればみんな通る.いやな言い方だが我々はそんなに捨てたもんじゃないと思う.
確かに免許がなければ始まらないが,最終目標が酷使合格ってのもすこしどうかと思う.


どんなに試験委員の先生たちががんばっても酷使は知識量の確認.それはおかしくない.知識がなければなにも育たない.
それでいいと思う.ホントに実践的な問題にしたければ,症例を提示してマネージメントをその場できけばいい.実施は大変だが価値はあると思う.
「医療者としての振る舞い」っていう問題だろうか?輸血拒否した死にそうな人に「あんた死にそうだよ」っていってもその場は何も解決しない.
そこから先が問題だが酷使では問われていない.とりあえずまずくない方法を選べばいい.そんな試験.

知識量だから勉強しないとどうにもならない.おまけにガイドラインとして項目は出ているが,それのどういう知識を問うかは実際の問題次第.
しかも量が尋常じゃないほど多い.増えているというよりもむしろ増やしてる.
そこが不安の原因だと思う.それに知識が増えるほど抜けているところ,不十分なところ,苦手なことがみえてくる.そんでもって不安のスパイラル.
これって大学入試の時も同じだった気がする.でも間違えた問題は別として,わからない問題は周りもたいていはわからないってのも一緒だと思う.


要するに無駄に深読みする必要も疑心暗鬼になる必要もない.
覚えてることから選択肢が○か×か判断すればいい.
不自然に並んだキーワードから疾患を思い出して適切な選択肢を選べばいい.
わからなければほっとけばいい.


酷使対策を大学でしない,実習・卒業試験を遅くまでやるっていうのは大学からの信頼の証と考えることにした.
そんなに残念な知識量でもないはずだ.
だめならバイトしながらまた来年うけるさ.
凡人の自分がここまでこれただけでも十分だ.


酷使的にはうつな症例になりかけたが,精神的に鍛えられたのかもしれない.
これで合格できたらいい経験だったってことにしとこう.
グループダイナミクスを連呼されていたのは,ホントに心配してのことだったと思うが,勉強なんてこんなにやられながら黙々とやるものだと思っている.
今まで団体戦で乗り越えてきたこともあるが,このトシになってそれはどうよとなんだか情けなくなってきたのもある.
半分は意地だが,それでも一人でどうにかなることぐらいは示したいという気持ちもある.


要するに精神的に弱い人間にはきっつい試験だってことですよ.酷使ってのは.
でもそんな自分でいいかなとも思ってる.たいして時間をかけて勉強してこなかったが,自分の記憶力でこれ以上知識は増えねーよ.
外部記憶ダメなの?残念w

まあ土曜からは撃墜されて死にそうになってるだろうから,今の間だけのびのびとさせてもらう.